先生だけが教える時代は終わった? アメリカで実感した“子どもと育ち合う”教育のかたち
- Manami
- Aug 7
- 4 min read
アメリカで暮らす日本人の小学生・中学生を対象に、私は英語や学習支援を行っています。
長年教育に関わる中で、私がずっと感じてきたのは、ある“違和感”でした。
それは、「先生は子どもより上にいるもの」「大人が導くもの」といった教育の構造に対するものです。
私自身も、長年教えるという仕事をしてきた中で、心のどこかでそれに納得できていなかったのです。
今、私ははっきりとこう考えています。
子どもや学習者は、育てる対象ではなく、「ともに育ち合う存在」なのだと。
一方的に何かを教え込むのではなく、子どもたちと関係を築きながら、ともに学び、ともに成長していく。
この記事では、私がアメリカの教育現場で出会った子どもたちとのやり取りを通して築いてきた想いについて書いていきたいと思います。

アメリカの教育現場に見る「対話的な学び」
アメリカの小学校・中学校では、子どもが自分の考えをもとに学びを深めていく「対話型」の教育が根付いています。
たとえば、授業では先生が「正解」を言うのではなく、「あなたはどう思う?」「どうやってそこにたどりついたの?」と問いかけます。
このようなスタイルは、最初こそ戸惑うものの、子どもたちが自分の思考や感じ方を信じられるようになる、大切なプロセスです。
私もまた、こうした環境に身を置くことで、自分の中にあった“教える者=上に立つ者”という発想を手放していくようになりました。
「導く」より「ともに考える」ことを大切に
昔から、「先生は子どもより上にいるもの」「大人が正解を持っていて、それを子どもに教えるもの」という考え方に対して、私はうっすらとした違和感を抱いていました。
教える立場に立った当初も、完全にその考えを受け入れることができず、何かが引っかかっていたのです。
そして、アメリカの小学生や中学生と関わる中で、その違和感は確信へと変わっていきました。
子どもは「未完成な存在」ではなく、「すでに世界と関わり、自分なりの視点を持つ存在」
教育とは「一緒に成長すること」
私が大切にしている教育のかたちは、「教える」よりも「関係性をつくる」こと。
以下の3つの視点から、その関係づくりを支えています。
正解より「考える過程」を尊重する
私の授業では、「どうしてそう考えたの?」「なにを感じた?」というやりとりを大切にしています。
子どもたちが自分の視点を語れるように、私は急いで答えを出さず、「しっかりと考えること」を重要視しています。
「わからない」と言える空気をつくる
私は教師であっても、「それは分からないな。ちょっと調べてみる」と返すことがあります。
答えを出すよりも、「わからない」を一緒に受けとめる空気を作ることのほうが、子どもたちにはよほど大きな安心を与えるのだと感じています。
一人の人として向き合う
私は、教えるときも一人の人として子どもと関わるようにしています。
小学生であっても、中学生であっても、そこにはその子の視点があり、人生があり、想いがあります。
「この子が、今どんなことを考えているんだろう」
「どんな言葉を求めているんだろう」
と思いながら、日々対話を重ねています。

学びとは「関係の中で生まれるもの」
アメリカの教育現場では、知識よりも“対話”が学びの核にあるという文化に何度も触れてきました。
信頼のある関係性の中でこそ、子どもたちは自分を出し、問いをもち、そして自ら学びはじめます。
私はその瞬間を信じています。
大人がリードするだけではありません。
ともに歩むことで、学びの景色はずっと豊かになるのです。
まとめ:教師である前に、学び合う人間でいたい
私は今、教育を「導くこと」だとは思っていません。
むしろ、子どもとともに考え、悩み、問い、そして笑い合える存在でありたいと思っています。
アメリカで暮らす小学生・中学生と関わるなかで、私は数えきれないほどのことを教えてもらいました。
教えることよりも、関わること。
知識よりも、信頼。正解よりも、対話。
子どもたちは、「育てる対象」ではなく、「ともに育つ存在」。
その気づきこそが、私の教育の土台になっています。





