受験において「資格取得」が目的化する理由と問題点
- Manami
- Jul 6
- 6 min read
― 帰国子女と英検の関係から見える落とし穴 ―
はじめに
近年、帰国子女の中学・高校受験では、英検準1級や1級の取得が重要な評価材料として使われることが増えてきました。
特に首都圏の難関校では、「英検◯級を持っていれば加点」「出願資格として必要」など、英語資格が受験に直結するケースが少なくありません。
そうした背景の中で、「資格取得」そのものが目的になってしまう場面もよく見られます。
本来、資格は「力の証明」であってゴールではないはず。
それなのに、なぜここまで「資格のための勉強」に偏ってしまうのでしょうか?
今回はその理由と、そこに潜む問題点について考えてみたいと思います。

なぜ「資格を取ること」ばかりが重視されるのか?
「受験に有利だから」と言われると…
まず多いのが、「帰国子女受験に有利らしいから取らせたい」という保護者の声です。
「英検1級を持っていれば有利になる」
「準1級で加点がつくって聞いた」
「◯◯中学の募集要項に書いてあった」
…たしかに、制度上それは事実かもしれません。
でもその「制度の存在」が、いつのまにか「資格を取ること自体が目的」になってしまっているのです。
本来であれば、英検は「今どれだけ英語を使って考える力があるか」を示すもの。
でも現実には、「資格さえあればOK」という空気が、子どもたちにも伝わってしまっています。
英会話力=思考力、ではない
特に帰国子女の場合、
「アメリカに住んでるし、英語は得意なはず」
「友達とも英語で話してるし、大丈夫でしょ」
という事実から、“うちの子なら取れる”という前提で話が進んでしまうことがあります。
でも実際には、日常会話ができることと、英検で求められるような高度な話題を英語で論じることは、まったくの別物です。
英検1級の面接では、たとえばこんな質問が出ます:
“Is artistic creativity under threat from artificial intelligence?”(芸術的な創造性はAIの脅威にさらされていますか?)
これに英語で答えるには、AIがどんな仕組みで作品を生成するのか、創造性とは何か、それがどう影響を受けるのか——そんな深い考察が必要です。
この質問が求めている前提知識や思考力をまとめると、次のようなものがあります。
①AIとは何か
データを学習し、新しいコンテンツ(絵・音楽・文章など)を生成するしくみ
人間のように「意図」や「感情」は持たないこと
②芸術的創造性とは何か
「創造性」は単なる新しさではなく、独自性・文脈・意図・感情の表現などを含む
③AIができること/できないこと
【できること】
スタイルの模倣(例:ゴッホ風に描く)
音楽や詩、イラストの生成
【できないこと】
主体的な意図・社会的メッセージの発信
新しい価値観の提示(あくまで過去データからの再構成)
④著作権・倫理の問題
既存のアーティストの作品を学習したAIの創作物の扱い
誰の所有物か?オリジナルと言えるのか?
AI作品がコンテストで入賞 → これは許される?
AIは脅威かツールか?
でも、10歳や11歳の子どもたちがAIの仕組みを理解し、自分の言葉で意見を語るなんて、簡単なことではありませんよね。
3. 「正解を教えて」「テンプレを覚える」学び方に
こうした難しいトピックに向き合うのではなく、「模範解答っぽく聞こえる答え」を暗記して、それっぽく話せればOK——という学び方が、現場では少なくありません。
たとえば、先ほどの質問に対しては:
"Yes, AI can copy artists’ works. This may reduce originality and hurt creators."
というような答えを教えられ、そのまま使うケースも多いです。
確かに、論理的には通っていますし、試験としては合格するかもしれません。
でもそれは、「自分の言葉で考えた答え」ではなく、“合格するための型”をなぞっているにすぎないのです。
思考力を育てるチャンスが、資格取得のために失われる
英検や受験の面接で出される問いは、「正解が一つ」の問題ではありません。
むしろ、「自分なりにどう考えるか」「どんな理由でそう思うのか」といった、思考のプロセスそのものが問われているのです。
でも現実には、
「この単語にした方が点が高いですか?」
「こう言えば受かりますか?」
「どう答えるのが正解ですか?」
といった質問ばかりが飛び交います。
これは、「思考する」という経験をする前に、「どうすれば点が取れるか」だけが重視されてしまっている状態です。

「帰国子女こそ、考える力が問われている」
帰国子女は、英語環境にいることで、確かに言葉の“耳”は鍛えられます。
でも、それだけでは「英語で考える力」や「抽象的なトピックを深める力」は育ちません。
だからこそ大切なのは、表面的な英語力よりも、英語を使ってどう考えるかという“中身”なのです。
「資格がある=英語ができる」ではなく、「資格を取る過程で、どんな思考力が育ったか」にこそ、注目する必要があります。
保護者としてできることは?
まずは、「資格は手段であり、目的ではない」という意識を持っていただけたらと思います。
そして、次のような視点で子どもの学びを見てみてください:
その資格を通じて、どんな力が伸びているか?
話し合いや表現の中で、自分の考えを持てているか?
「なんでそう思うの?」と問いかけたとき、理由を自分の言葉で語れているか?
たとえ今すぐに成績や結果が出なくても、考える力、表現する力、自分の意見を持つ力は、将来にわたって生き続ける“学力”になります。
おわりに
英検や資格は、あくまでも「力の証明」の一つ。
本来は、そのプロセスの中でどんな学びがあったか、何を感じ、どう考えたかが何よりも大切です。
資格取得だけが目的となると、本来はその過程で得られるはずだった学びや成長のプロセスを飛ばすことになります。
本来の流れ: 考える → 試行錯誤する → 表現する → 自分の言葉で語れるようになる → その結果、資格に合格する
目的化してしまった流れ: 資格に合格する ことが第一→ とにかく正解を覚える → 形だけの思考や表現 → 通過点の中身(=成長)は抜け落ちる
受験という制度の中で、つい「結果」ばかりに目が行ってしまいがちですが、その裏にある「学びの質」を見つめ直していくことが、今の時代に求められているのではないでしょうか。
資格の“数”ではなく、子どもがどんな問いにどう向き合えるか。
そこに、教育の本質があるのだと思います。
記事作成者 (Manami Palmini ![]() 講師経歴
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